とある人のとある思考

完全なる自己満ブログ。自己否定・自己肯定。ゴールはない…だって自己満なんだもの。

さっそく最近思ったこと。

 

ある友人の話。

 

僕はその友人をすごく好きだし、尊敬に値する人物であるし年齢の割に大人だと思っていた。(今も尊敬する部分はある)

 

しかし、最近は昔あった「かっこよさ」がガクンとなくなりどこか寂しい。

 

なぜ、「かっこよくない」と感じてしまうのだろう?

ここでいう「かっこよさ」はもちろん外見のことではなく、「人間」としてである。

 

自分なりに考えた結果、大きな1つの要因があると思う。

 

① 昔は、年齢の割に「大人」だと思ってた彼が歳をとると僕の思う「ださい大人」になりかけてしまったこと。(なりかけであると信じたい)

 

僕の思う「かっこいい大人」と彼の思う「かっこいい大人」が相反するだけなのかもしれない。

 

僕の思うかっこいい大人は、「年齢や立場、人の属性で判断せず、人の意見をフラットに見れる大人」である。 

 

僕は決して頭がすごく良い訳ではないが、少しだけ人より優れてる点は「フラットな目線で話を聞ける」ということだと思う。(少しだけだけど…。)

 

彼はその点においてすごく欠落してしまった。いや、元々してたのかもしれなかったけど僕がアホだったからわからなかったのかも。

 

彼と僕の生き方は正直全く違う。事実ベースで見れば、あらゆる経験値の度合いははるかに僕の方があると思う。その中で議論をしていると、彼はよく「事実ベース」で物を話してると言う。正直、彼の言う事実ベースは彼の主観を元に作られた事実であり、視座感0でツッコミどころ満載である。最終的には論理が伴わない感情論に向かってしまう。これは、僕が彼のレベル感についていけてないのか、はたまた逆かはわからない。

 

僕は高校を卒業してから、海外の大学に通っていたため、彼と数年会わない期間があった。この数年間が僕を変えたのか、はたまた彼を変えたのかはわからない。おそらく僕が変わったのだろう。

 

この経験から「議論は同じレベル感の中で話すべきだ」と思った。

 

これはもちろん自分を肯定してくれるぬるま湯な環境に浸るという意味ではなく、意見に対してクリティカルな否定をしてくれるレベル感という意味である。

 

数年後読み返した時に、僕はどう感じるのかは想像もつかない。

 

でも彼と馬鹿な話をしながら呑むのは好きだ。